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代表ご挨拶

Message from the President

 

 

 

未来につなげる

 

 

わたしたちは、未来の子供たちのために

住みやすい街をつくるとともに、

世界につながる

価値を創造してまいります

 皆さまには平素より格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。

おかげさまで、「あぱまん情報」の名で親しまれ、名実ともに日系不動産業者の先頭を走り続けることができました。その業務は、単なる賃貸仲介だけにはとどまらず、不動産開発、不動産売買、サービスアパートメント、サービスオフィス、工業団地等の経営管理、不動産鑑定など多岐にわたる事業活動であり、新たな事業にも積極的に取り組んでまいりました。今では、タイの日系不動産業者の間でも定番となったサービスも数多くございます。これは何よりも、お客様にご満足いただけるサービスの提供を目的として生み出されたものであり、さらなるお客様のご満足にお応えできる企業を目指しています。

平成2年(1991年)会社設立以来、27年の歳月がたちます。この間に、バンコクの街並みも急激に変化してきました。現在、バンコクの95%のビルは、この期間に建設されたものであります。当時は、ビジネス街でもほとんどが平屋かタウンハウス、5階建ての中層ビルで、高層の建物といえば、シーロムならドゥシタニホテルやその向かいのロビンソンのあったビル、CPタワー、バンコク銀行の向かいのプンミットビル、スクムビット界隈ならソイ24~26のチョクチャイビルくらいのものでした。

弊社は、企業に勤める駐在員向けの仲介サービスから事業をスタートさせました。当時の駐在員の住まいといえば、サトーン界隈の低層コンドミニアムか一軒家でした。1世帯250~350㎡ととにかく広く、メイドも何人もいたのが特徴でした。知り合いのインド人からサービスアパートの管理・運営を頼まれ、これが後の「あぱまん情報」の看板事業のひとつとなり、また、タイでは希少な日本人向けサービスアパートメントとなりました。当時のアパートは日本人向けのサービスは何もなく、英語も話せないタイ人が窓口だったほど、日本人には不便なものでした。そこで、日本語窓口の設置や日本の新聞を置いたりするなど日本人向けのサービスを取り入れたところ、反響を呼び、その後はシラチャー、アユタヤなどの郊外にもサービスアパートメントを建設し拡張しました。

さらに、1995年アソークのサミットタワーで始めたサービスオフィスは、まだタイ国にはなかった画期的なサービスで、大手日系企業が続々利用するようになりました。これも、今ではタイではよく見かける不動産業のひとつになりました。家具付きのオフィススペースに、共有の受付、コピー機付きでレンタルできて、初期投資を大幅に抑えることができる進出企業向けのサービスです。実は、当初は、利益を出すよりも、人助けのつもりで始めた事業でしたが、それがまさかこれほどまでに反響があるとは想像すらできませんでした。

その後、お隣のミャンマーでも、日系企業向けのサービスオフィスや商社等駐在員向けの住まいを開発・運営するほか、メイドの派遣等も行いました。タイ国内では、工場の賃貸さらには不動産鑑定サービスと、時代のニーズに合わせて様々なアイデアを取り込んだ事業を行ってきました。今後も引き続き、新たな時代に対応したビジネスプランを提案して、お客様のニーズにあわせた生活の提案、商品のご提供をすることにより、お客様の信頼と期待にお応えしてまいります。

T.W.Y.Co.Ltd.

  代表取締役     山口 政次